大物の足跡としての銅像 ホセ・リサール像(日比谷公園)
日本全国に弘法大師が見つけたと言われる「弘法温」や「弘法清水」、大師が座ったという「弘法岩」がある。いわゆる弘法伝説というもので、実際に大師が温泉や清水を探し回り、岩という岩に座りまくった訳ではない。いかに多くの業績を残した弘法大師でも、TVの水戸黄門のように全国をくまなく回る時間はなかった筈だ。
信仰心が嵩じたと言えばそれまでだが、弘法大師にはそう思わせるだけの行動力と影響力があったのだと思う。そして、なんとかそれを物質的な形にしたいという欲求が、清水や岩に「弘法」を付けさせたのではないだろうか。
日比谷公園内、道路の向こうが帝国ホテルという場所にひっそりと建てられた「ホセ・リサール像」には、こうした「弘法伝説」的な何かを感じてしまう。
ホセ・リサールは、1861年フィリピンのラグナ州生まれ。留学していたマドリッドで、当時植民地であったフィリピンの独立運動を開始し、それがもとで帰国後はスペイン当局の弾圧を受けながらも地道な活動を続けたが、1896年、36歳の時に扇動容疑で逮捕、銃殺されてしまう。
ヨーロッパの名門大学で医学を修め、10ヶ国語以上の言語を操り、哲学や測量にも長じた多才な人物。彼の優れた著作によりフィリピン独立が始まったといって過言ではなく、日本の幕末で例えれば、吉田松陰のような存在の国民的な英雄と言える。
なぜこの像が日比谷公園にあるのかと言うと、1888年2月28日から4月12日まで、彼が一時的に弾圧を逃れるために来日、当時日比谷にあった“東京ホテル”に宿泊していたことがあるという、ただそれだけのためである。
しかし、ただそれだけのために、1961年に生誕100年の記念碑が建立され、1998年のフィリピン独立100年記念事業では、現在の胸像が新たに付け加えられたのである。
つまり、かつてある人間がそこにいたというだけで、銅像が作られる理由は充分なのだ。これは皮肉でもなんでもなく、非常に面白いことだと思う。
無論、ホセ・リサールは宗教的な人物ではないし、歴史的な資料によりある程度は足跡も明らかなので、神秘的な伝説は生まれない。しかし、「弘法伝説」と同じような、偉大な人物の行動力と影響力をなんとか物質的な形にしたいという欲求によって、この銅像は建てられたのだ。
銅像が建立される理由はさまざまあるだろうが、「ただ偉大な人物がここにいた!」というだけで建てられた、このホセ・リサール像を見ると、人が銅像を仰ぎ見る根源的な意味が潜んでいるように思えてならない。